鎌倉市図書館のツイートには問題がある
トピック「図書館」について
鎌倉市図書館のツイートを手放しに称賛できない。
もうすぐ二学期。学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい。マンガもライトノベルもあるよ。一日いても誰も何も言わないよ。9月から学校へ行くくらいなら死んじゃおうと思ったら、逃げ場所に図書館も思い出してね。
— 鎌倉市図書館 (@kamakura_tosyok) 2015, 8月 26
一日いても誰も何も言わないよ。
「放任」と「放置」は違うと思う。
高校生は別として、もしも義務教育にある児童生徒が平日に一人で一日ずっと市の図書館で過ごしていたらどうするか。
とりあえずその子どもに確認をしてから本人が在籍する学校に連絡を取るのが職員の取るべき対応だと考える。
死を望むほど辛い境遇にある子どもをサポートすることが図書館の業務の一環であろうか。
委託管理であれ市の職員が業務を行っているのであれ、公共施設としての役割の範疇を超えたケースだと思う。
放任するには、信頼関係だとか、その子どもを取り巻く機関の連携が土台として備わっている必要があると思う。
鎌倉市図書館は逃げ込んだ子どもを放任するのか放置するのか。
放置するのであれば問題だと思う。
このような記事を書かれた方がいる。
声もかけず、ひとりの利用者がそこに居るだけだと見逃してください。
市の図書館である以上、利用者に平等にサービスをすることが求められると思う。
しかし、平等にサービスをすると言っても、大人も子どもも全く区別せずにまるっきり同じ対応をとるのでは求められるものに応えられないのではと考える。
利用者の立場に応じたきめ細やかな対応を選ぶことが、平等にサービスするということだと思う。
赤ちゃんも子どもも当然ひとりの利用者であるが、例えば大人に接するのと全く同じ口調で対応していたのでは、平等なサービスにはならないと思う。
9月1日に一人で図書館を訪れた子どもを特に気に留めないことと、同じ日に一人で来館した大人を特に気に留めないことは違うと思う。
前者は少し問題があると思う。
ひとりの利用者として対応するのであれば、平日の学校がある時間帯に一人でやってきた子どもを、せめて気にかけつつ見守る必要があると考える。
警察に通報して補導してもらうべきとは言わない。
追い詰められた子どもを、継続して十分サポートしていける環境も整っていない場所で放置することは問題だ。
その場しのぎの逃げ場を一時的に提供しても、いつかは問題と向き合わなければならないときがやってくる。
自分たちに背負える問題以上のものを受け入れてしまって、「やっぱり無理でした、ごめんなさい」と放り出すほうがよっぽど残酷だと思う。